君は近鉄モ8459を見たか?
投稿者 :篠山口鉄道部主任
■はじめに いろんな意味で謎の多い近鉄通勤車。その全貌を完璧に把握してる奴は全世界に5人と居 ないだろう。何種類もある車体断面、複雑怪奇な車番の割り振り、他形式への編入、そして30 年以上前の車と最新の「シリーズ21」が何事もないかのように連結される様・・・。そんなんの 前に大多数の常人どもは恐れおののいて逃げ出してしまうが、ごく一部のイカれた奴はその蟻 地獄から決して抜けられない。(※ここまで一部誇張) そして近鉄通勤車の中には異端児も数多く、かつ人知れず存在する。その中でもキワモノ中 のキワモノといえるのが、今回とりあげるモ8459である。元相方のサ8167とあわせて紹介し たい。 ■1 モ8459、及び元相方サ8167のあゆみ 元は8000扇風機車のラスト、モ8059−ク8559として1966年に登場。主に奈良線で平 穏に活躍していた。しかし1972年菖蒲池で爆破事故に遭い、彼等の運命は一転する。事故 後改造までの動向は(交通科学博物館の図書室に行くヒマもなく、またネットでもそこまで濃い ぃ記事を見たこともなく)よくわかりませんが(まぁでも西大寺車庫の片隅でしばらく放置されて いたんでしょうな)、1976年復旧の際に2両とも中間車改造され別々の道を歩むこととなっ た。 モ8059については電装解除されサ8167となり、冷房化もなされて新製のモ8667とともに 8600系唯一の2連であった8617Fに組み込まれ、4連となった。以後は更新に伴う側面方 向幕取付があったぐらいで、塗色以外大きな変化もなく現在に至っている。 一方ク8559については逆に電動車化されモ8459となり、8400系の内2連であった 8409F(8400系は4連8本−8401F〜8408F、2連3本−8409F〜8411F、3連5本− 8412F〜8416FとMc1両−モ8417があったが、余りのMcは2連の8411Fと固定化さ れ、現在は8410Fの1本のみ2連で残る)に挿入された。改造当初は非冷房で、冷房化と同 時にパンタ増設・省エネ化改造も行われた。さらに他の3連口8400系とともに、1992年に田 原本線ワンマン化改造がなされた。以後は同線主体の運用となっているが、たまに×2の6連 で難波にやって来ることもある。 それにしてもなぜ手間をかけてまで(方向転換、エアサス台車を新調、Mc→T及びTc→Mへ の変更)他系列への編入を行ったのだろうか。そのまま中間車改造だけで8000初期車に組 み込んで4連にする、だけでよかったのではないか。それとも爆破事故というものを「黒歴史」 化せねばならなかった、ということなのだろうか。
ともに過ごした日々は約10年、別れ別れになって約30年、とりあえず2006年時点では2両 とも現役で活躍中である。特にモ8459は本線系で初期高性能車のスタイルを色濃く残す唯 一の存在として貴重である。サ8167については、8600系にあわせた一体型のクーラーキセ が載せられ、初期高性能車の特徴であるかまぼこ型ベンチレーターも撤去されたため、車体 断面の微妙な違いや運転台撤去跡を見なければ一見キワモノとは気づかない。 ■2 モ8459観察 前述のとおり田原本線ワンマン改造された8409Fは、当然ながら田原本線で行ったり来た りの運用に入っていることが多く、多種多様な車両が共通運用されている近鉄通勤車のなか では割と捕まえやすい部類に入る。とはいえ田原本線の日中は3運用、田原本線ワンマン 8400は7本あるので、日中にフラっと行って8409Fが来てくれる可能性は半分以下である。 今年に入って初めて田原本線に行った際には振られてしまい、2回目でようやくGETできた。 大阪から大和路快速に乗車、王寺で下車して新王寺へ。1本見送ったあと怪しい車体断面 の中間車を含む怪しい編成がやってきた。早速ホームに入り、折返しまでの時間が10分以上 あるためじっくり車内外を観察する。
そしてモ8459の最大のチャームポイントはやはり運転台の撤去跡である。中間車改造され た車で現存する車のなかでは、運転台撤去跡に2連のユニット窓を設けられたものもあるが (サ8167もそのタイプ)、この車は独立した1枚窓が設けられている。もちろん丸妻のままであ り、さらに2丁パンタのため極めて個性的なスタイルとなっている。もう一度運転台を復活させ て先頭で風切って走る姿を見てみたいと思うのはきっと私だけではないはずである。 もう片方の妻面には塗料の塗りすぎでほとんど文字が見えなくなっている銘板があった。なん とか「昭和41年製造」の文字が確認できた。
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